2009年06月03日
感謝に生きるということと・・・・・ 2001年06月07日
Kumiko’s sharing paper
『感謝に生きるということと、感謝を行動で現すということ』
私が、さわ702図書館で、次に手にした本は“狼に育てられた子”(J.A.L.シング著)でした。
これは、誕生直後に山奥に捨てられ、それから救出されるまでの約6年間、狼に育てられた子、カマラとアマラの養育日記です。
彼らが発見された時は全くの動物でした。
四つ足で素早く走る。
味などまったくわからず、生肉を食べる。
夜になると目が光る。
“遺伝子”という会話情報と“環境”という会話情報の関係を探求するのに、非常に興味深い本です。
ただ、私に今、現れて来ているのは、どんな会話体であろうとも、言葉が存在するという環境に生まれ育ったこと、人として会話を持っていることにどれくらい感謝があるだろうかということです。
一度声が出なくなったら分かるかもしれないと思いました。
同時に、この田ぐり庵という奇跡の愛のスペースに、自分が存在していることに、どれぐらい感謝があるだろうか、ということも出てきました。
どこでも、世間にポーンと一人で投げ出され、そこで生きていかざるをえなくなったら、身にしみるかもしれません。
本当に、私たちは、あまりにも恵まれ過ぎてて、今ここにこうやって生きていることの感謝がなさすぎます。
この自覚があれば、言葉を大切に使わざるをえないし、自分に尊厳を与えざるをえないし、そして、“言葉のすごみ”を“会話の可能”を全身全霊で人々に叫ばざるをえないはずです。
今、わしたち一人ひとりが神風特攻隊(?)のように世間に打って出てOKの時です。
失敗したって、下手だっていいし、全身全霊で、世間にぶつかって、そして、それによって、また私たちが磨かれて、磨き抜かれた剣となって、キラキラと光り輝く時です。
さあ、今日と明日、エピソード7に向かってメッセージライフ(会話)をやって(会話して)やって(会話して)やりまくり(会話し)ましょう。
『感謝に生きるということと、感謝を行動で現すということ』
2001年06月07日
私が、さわ702図書館で、次に手にした本は“狼に育てられた子”(J.A.L.シング著)でした。
これは、誕生直後に山奥に捨てられ、それから救出されるまでの約6年間、狼に育てられた子、カマラとアマラの養育日記です。
彼らが発見された時は全くの動物でした。
四つ足で素早く走る。
味などまったくわからず、生肉を食べる。
夜になると目が光る。
“遺伝子”という会話情報と“環境”という会話情報の関係を探求するのに、非常に興味深い本です。
ただ、私に今、現れて来ているのは、どんな会話体であろうとも、言葉が存在するという環境に生まれ育ったこと、人として会話を持っていることにどれくらい感謝があるだろうかということです。
一度声が出なくなったら分かるかもしれないと思いました。
同時に、この田ぐり庵という奇跡の愛のスペースに、自分が存在していることに、どれぐらい感謝があるだろうか、ということも出てきました。
どこでも、世間にポーンと一人で投げ出され、そこで生きていかざるをえなくなったら、身にしみるかもしれません。
本当に、私たちは、あまりにも恵まれ過ぎてて、今ここにこうやって生きていることの感謝がなさすぎます。
この自覚があれば、言葉を大切に使わざるをえないし、自分に尊厳を与えざるをえないし、そして、“言葉のすごみ”を“会話の可能”を全身全霊で人々に叫ばざるをえないはずです。
今、わしたち一人ひとりが神風特攻隊(?)のように世間に打って出てOKの時です。
失敗したって、下手だっていいし、全身全霊で、世間にぶつかって、そして、それによって、また私たちが磨かれて、磨き抜かれた剣となって、キラキラと光り輝く時です。
さあ、今日と明日、エピソード7に向かってメッセージライフ(会話)をやって(会話して)やって(会話して)やりまくり(会話し)ましょう。
Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00│Comments(0)
│2001年ライトメッセージ