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2009年07月29日

リーダーの行動は・・・・・ 2001年06月15日

Kumiko’s sharing paper 

『リーダー(リードする人)の行動は全てをドライブ(創作)している』
2001年06月15日

私が、美容師として活躍中、よくお客様に言っていたのが「この髪形にカット(もしくはカラー)するのはいいけど、それなりの覚悟がいるよ、ぼーっとしていてもだめよ、ちゃんと着こなしてね」というセリフです。

みんな、雑誌や他人を見て、こうしたいと言ってきますけど、その髪をパコッとあてはめればいいってもんじゃないんですよね。

例えば、アップ・ザ・アイブロー(眉上)のちょんちょん前髪が、ファッションモデルの間で流行っていましたけど、これはモデルだからカッコいいとなりますけど、ダサイ人がすると変の一言につきます。

洋服も同じですけど、髪もアクセサリーも、どれくらい着こなし(リードし)ているかが、その人の会話力(リード力)です

さらに、時間の使い方、誰かと会話をしている時、お弁当を作っている時、どこをとっても状況と(ファッションでいえば自分の外見)ダンスしながら、その中に光っている可能をどれくらい引き出せるか、リードできるかが、リーダーの力量ということになります。

その可能実現力は、自分に対しても、他人に対しても、扱っている現象(もの)に対しても要求されます。

整理整とん(インペカブルな環境)に関しても、どれぐらい環境をドライブできるかのトレーニングだし、一日のスケジュールに関しても、どれぐらい時間をドライブできるかだし、メッセージライフの会話、営業の会話も、どれぐらい人をドライブできるかだし、どこをとってもトレーニングですね。

プレゼンスに関してももちろんそうです。

私たちは、人類をリードしていくリーダーチームですから、リーダーらしく生きる必要があります。

そのためのトレーニングを徹底的にやりましょう。

そして、私たちチームのトップリーダーである代表アコさんのコーチにサレンダーされよう。

あなたは今日1日をどうリードしますか?

一人が一人お師匠さん(世間の人)から会話のリードトレーニングを受けること!
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年07月27日

世間の人類は、我々を磨いてくれる!2002年1月17日

2002年1月17日

”世間の人類(なかま)は、我々を磨いてくれる!”

<言いにくいこと言う可能>

space boat contact program の中で、”あ~ここが私の進化だ”と

コーチされたことがありました。

1つは、新参加者のみんなが私にくれたメッセージで、

”第一印象が、パワーがすごすぎて怖い”

ということです。

これは初対面の時の私の対応にムラがあることを気づかせてくれました。

時々、私のムキムキ勝気エネルギーが出ているのです。

わざわざ意識しなくても、一緒にいて安らぐような、つい近寄りたくなるようなそんな

しなやかで柔らかいエネルギー体になることにしました。

もう一つは、肝心要のここぞという口説き場面で、照れて笑ってしまうのです。

代表のコーチによると、プライドが高い人は、あとで逃げ場キープするために、

な~んちゃってエネルギーを発するのだそうです。


なるほど、私の人生みてみると、もう絶対逃げられないシーンでは、

逆に居直って面白いパワーを発揮するのですが、どうしようという迷いがある時は、

照れ笑いをするのです。

特に、男の人から女性として口説かれたりすると、少女のようにひいて、自分でも

おかしくなることがあります。

どんな大物と話をする時でも、どんな大ステージで話をする時でも、どんな危機状況の中で

話をする時でも、全くゆるがない、余裕の福々エネルギー体になることにしました。

それにしても、一番すごいことは、仲間の会話を素直にコーチとして受け取る気前よさです。

昔はプライドがじゃまして、自己否定がじゃまして、なかなか会話をそのまま会話として

受け入れることができませんでした。

”愛を与えよう!”
という意図が強まれば強まる程、世間の人類の会話は貴重でかつ抜群のコーチです!!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年07月22日

金の卵をふ化させる 2001年06月14日

Kumiko’s sharing paper 

『金の卵をふ化させる』
2001年06月14日

私たちは、よくオリエのことを金の卵、金の卵と呼びますよね。

彼女って、この真理に触れてふ化して可能が開いたひなだなと思ったんです。

私たちが、メッセージライフするということは、親鳥がいくつもの卵を大切に、絶え間なく、温め続けるように、愛の会話を与え続けていくことなんだなと感じます。

卵がかえる、子が誕生する、ということは奇跡的なことです。

だって割合からいえば、何十万 (あるいは何億か何百億か忘れました)という卵細胞のラッキーな一個の卵子と、これまた何百億という精細胞の中の一個の精子が合体して、人間で言えば、そのあと1/4の割合で母体の壁にくっつくことができた(着床)ものが生き残りでしょう。

私たちが生まれてきた確率は奇跡以外の何ものでもない。

こんな子孫を残すという自然現象に、今、私たちがコーチを受ける時です。

卵をふ化させる親鳥のように、子を産む母親(父親)のように、私たちが真理の子を育てる行動をしているか、ということです。

メッセージライフをやりきってみなければ、それが金の卵なのか、育たない卵なのか、わからない。

この人は・・・と、自分のストーリーをめぐらせる前に会話をしてみましょう。

今、エピソード7のリーフレットを持って、たんたんと着実に水を漏らさない精密さで、目の前の卵たちに会話をし続ける時ですね。

一日に、おびただしい数の卵を目の前にしていながら、目をつぶって顔をそむけて卵が見当たらない、見当たらないと、言っているのは誰でしょう。

今日はパーティー、ビックチャンス!
みんな卵を温めようね。
一人が一人(個)よ!
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年07月20日

区別と差別を区別する 2002年1月15日

2002年1月15日

”区別と差別を区別する”
<承認と否定が創る現象>

space boat contact の中で、”わぁ~お”と感動したメッセージがありました。

それは”区別”は尊厳であり、承認であるというメッセージです。

私は差別には良悪があって、区別には良悪がないぐらいに考えていたからです。

ところがどっこい、区別自体がことばの可能そのものだったのだと気づいたのです。

”ことばのエネルギーが現象を現す”

ということは、区別によって現象が起こるともいえると思うのです。

ビックバーンも区別現象であり、数字もそうだし、我々一人一人の存在も、個に対する

尊厳と承認の結果であって、優劣の差別ではないのです。

私は差別に苦しんでいた人間です。

差別に牛耳られた人生は、ギスギスした油断のできない否定的な人間です。

常に優れているか劣っているか、勝つか負けるか、バカにするか、バカにされるか、なんと色気のない貧しい人生だったことでしょう。

本当の人間の進化とは、この差別の会話を消化し、あたたかく豊かな区別の会話を

充満させていくことなのかもしれません。

差別に生きていると、言えないことが言えることが出てきて、会話が非常に不自由です。

私たちが、セックスに対する会話を研究すると、よ~く見えます。

私はどこかに”セックス好きであってはいけない”という会話がインプットされていて、

そう思われるかもしれないような会話をブレーキがけていることが見えたのです。

そこに、”セックスは素晴らしい”という区別の会話を与えると、非常にリラックスして、

何でも自由に話せるセンスをつかんだのです。

差別エネルギーから区別エネルギーシフトが、まさに我々が起こそうとしている

エネルギー革命であります!!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年07月15日

初めにことばありき 2001年06月13日

Kumiko’s sharing paper 

『初めにことばありき・・・神はご自分にかたどって人を創造された・・・』
2001年06月13日

リー・M・シルバーの“複製されるヒト”はさすがアメリカ人の書いた本とでもいうべきでしょうか、各章の冒頭に聖書からの引用が添えられているんですね。

なんといっても世界No.1の超ロングランベストセラーは聖書ですから、会話科学から目を通すだけの価値はあるかも知れませんね。

聖書にはちゃんと書いてあるんですよねぇ。

“言葉がすべてを現した・神は人の姿をしている・つまり人間が神様なのだ”と、言葉のエネルギーが全ての根源(神)であり、言葉のエネルギー=会話をもつ人間=神なのだ。
と、誰が書いたのか知りませんけど、いかにも神様という人の姿をしたものが存在していて、宇宙の果てから我々を見守っているという様な誤解を受けるような書き方をするから、話がおかしくなるんですよね。

アメリカにいた時の友人の一人もまじめなプロテスタントで神様の存在は絶対的で、存在をいつも感じるんだと言っていましたものね。

神様がいるとしたら自分の中にいるのにねぇ。

そして、今、改めて私たち会話科学者のすごさを感じます。

たとえば、この全世界に根付いた大宗教、キリスト教でさえ真理からはお見通しだし、それは、仏教においても同じこと、完全に宗教を超越していますよね。

私たちは、仏様・神様を超えるとよくいわれますけど、本当にそうだなと思います。

そして、わが人類(なかま)は、と目を向ければ、かわいそうなほど、何にも見えずに宗教絶対・金絶対・我絶対の古代人ですよね。

そんな人類(なかま)の反応に一喜一憂するほど低いレベルにいてはいけないし、それどころか、彼らが目覚めざるをえないほど、愛を(会話を)しまくるときです。

今は、さあ、明日のパーティーにラストスパート、一人が一人をご招待!
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年07月13日

革命者は自分の命なんて惜しまない!2002年1月13日

2002年1月13日

革命者は自分の命なんて惜まない!

<革命者達のメッセージ>

今から60年前、第二次世界大中、ナチスドイツのヒトラーが独裁者として

現役で活動中に、チャップリンは、”The great dictator(独裁者)”(ヘラルド映画制作)

を作りました。チャップリン扮するヒトラーそっくりの床屋が、ヒトラーとして演説します。

彼の言った言葉を下記に記します。

”申し訳ない。私は皇帝にはなりたくない。支配はしたくない。できれば援助したい。

ユダヤ人も黒人も白人も人類はお互いに助け合うべきである。他人の幸福を念願して、

お互いに憎しみあったりしてはならない。世界には全世界を養う富がある。人生は自由で

楽しいはずであるのに、貪欲が人類を毒し、憎悪をもたらし、悲劇と流血を招いた。

スピードも意思を通じさせず、機械は貧富の差を作り、知識を得て、人類は懐疑的になぅった。

思想だけがあって、感情がなく、人間性が失われた。

知識より思いやりが必要である。思いやりがないと、暴力だけが残る。

航空機とラジオは我々を接近させ、人類の良心に呼びかけて世界を一つにする力がある。

私の声は全世界に伝わり、失意の人々にも届けている。

これらの人々は罪なくして苦しんでいる。

人々よ、失望してはならない。貪欲はやがて姿を消し、恐怖もやがて消え去り、

独裁者は死に絶える。大衆は再び権力を取り戻し、自由は決して失われぬ!

兵士諸君!犠牲になるな!独裁者の奴隷になるな!彼らは諸君を欺き、犠牲を強いて、

家畜のように追い回している!彼らは人間ではない!心も頭も機械に等しい!

諸君は機械ではない、人間だ!心に愛を抱いている!

愛を知らぬ者だけが憎しみ合うのだ!独裁を排し、自由の為に戦え!

”神の王国は人間の中にある”

すべての人間の中に!諸君の中に!

諸君は幸福を生み出す力を持っている。

人間は美しく自由であり、素晴らしいものだ!諸君の力を民主主義の為に集結しよう!

よき世界の為に戦おう!青年に希望を与え、老人に保障を与えよう。独裁者も同じ約束をした。

だが彼らは約束を守らない!彼らの野心を満たし、大衆を奴隷にした!

戦おう!約束を果たす為に。

世界に自由をもたらし、国境を取り除き、貪欲を憎悪を追放しよう!良識の為に戦おう。

文化の進歩が全人類を幸福に導くように。

兵士諸君!民主主義の為に団結しよう!”


映画におけるスクリーンで見るとわかりますが、チャップリンは真剣で、彼自身の全人類への

メッセージとして叫んでいます。

映画であって映画でないのです。

彼の命をかけたエネルギーがスクリーンごしに伝わってきて、感動し、涙があふれ出ます。

私たちがよく命がけという使いますが、先代の革命者達は、事実、命をかけて生き抜いています。

コペルニクスも火あぶの刑、吉田松陰も処刑されました。

チャップリンはこの映画を作ってアメリカに亡命しました。

どこをみても末期的状況であり、我がはびこっているこの現代で、あなたは今、

何のためにどう生きますか?

あなたが今、全世界人類に何をメッセージしますか。

チャップリンの状況を今に例えるなら、ブッシュ大統領の演説台にまかりまちがって

あなたが立ち、アメリカ国民及び全世界がテレビスクリーンを通して、あなたの言葉を

待っている。

”テロが悪い、テロを暴力で滅せ”と言われ続けている世間エネルギーの中で、

あなたは何と叫ぶか、そんなところでしょうか。

チャップリンのメッセージを真実から訳し、現代版にグレードアップするとどうなりますか?

あなたの命をかけたメッセージを聞かせてください。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年07月08日

文章の行間を読む 2001年06月12日

Kumiko’s sharing paper 

『文章の(言葉の)行間を(エネルギーを)読む』
2001年06月12日

表面に書かれている文章にはないが、その背景にある筆者のいわんとすることや意図を読み取ることを“行間を読む”といいますけど・・・、私たちが仕事をするうえでも持っている情報から、その先をあるいはその裏を見透す会話力がとても重要だと感じます。

例えば“お弁当の配達時間は11:30”という情報があるとします。

これの発注者が製薬会社の営業マンか、高宮辺りの主婦かでは、ずいぶん意味が違ってきます。

製薬会社の営業マンであれば、医者への薬の説明会のための販促商品であり、彼らは非常に緊張しているし約束の10分前には来て待機しているのが常識で11:25になっても来ていないと心配して冷や汗をかきだすぐらいです。

主婦の方であればお昼から食べるのに“余裕を持って11:30前後に”とういうケースがほとんどでしょう。

これは一例ですけど、メニューを考える時も、もちろん配達をする時も、営業する時も、エピソード7のメッセージライフをする時も、どれぐらい行間(エネルギー)を読んで相手のつぼにはまる会話や、行動を与えるかが、愛を与えるということですよね。

配慮ともいえるかもしれません。

スキのない愛とでも言いましょうか、これが親としての在り方そのものかもしれません。

そして、このエネルギーを読む、キャッチするということは、やり方・方法でやっても働かない。

自分がどれだけ真っ白のキャンバス状態で、赤にも青にも染まるというクリアさと、自由さにいるかが、カギとなってきます。

だから寝る前のセルフメッセージ・目覚めのセルフメッセージ・瞬々のセルフメッセージに生きるしかないのです。

みんな合言葉は“ものなし・我なし・自由だなぁ・言葉で何でも現そう”ですね!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年07月06日

人生のドラマはあなたの言わない会話が創る2002年1月16日

2002年1月16日

”人生のドラマはあなたの言わない会話が創る!”
<ことばっで何でも現せるということ>

space contact program の中で、”へぇ~そうだったんだ!”と知ったことがあります。

それは、

”人生における様々なドラマは、言わない会話が創りだす”
というメッセージです。

私はよく友人に、波乱万丈の人生やね~と言われます。

自分でもアメリカから強制送還されたり、オスカーが日本に突然来たり、

やることが大胆というか、激しいというか、ドラマティックだなぁと感じることがあるので、

このメッセージが妙に新鮮に入ってきたのです。

ドラマというのは、夢と同じで、ファンタジーですから、達成、成就とは違います。ジェットコースターに乗ったかのような一時的な快感や、危機感はあっても、

だから何だったの!?

みたいな結果に行き着きます。

自分の人生ドラマを見ると、自分の内話が見えるわけです。

以前アメリカのスピーチクラスで、

”あなたの口癖が人生を創る”と発表したことがありましたが、口ぐせじゃなくて、腹ぐせ

とでも言いましょうか、内話ぐせが人生を創るのですね。

口ぐせが内話と一致していれば、真実ですが、そうでなければ当てはまりません。

セルフメッセージは呪文じゃないのよとよくコーチされますが、あれはどんなに覚えて

唱えていても、つまり口ぐせみたいになったとしても、お腹の中で別のことを考えていたら、

全く意味がないよということだったんですね。

セルフメッセージの一言一言があなたの言わない会話(内話)になった時、のけぞるような

人生のエピソードが次々とやって来て、それが自己満足に終わるのでなく、

未来人類の人生を進化させていくのです!
さぁ人生のエピソード(ここでは真実に生きた結果現れる感動的な現象と定義する)を

どんどん創って、どんどん人類に届けよう!!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年07月01日

真理に絶対降伏(サレンダー)する 2001年06月11日

Kumiko’s sharing paper 

『真理に絶対降伏(サレンダー)するということ』
2001年06月11日

真理をわかっているということと、真理に生きているということの違いは、いざという時の自分の反応を察(み)れば如実にみえます。

自分の目の前の現象が、自分の意図通りの結果(思い通りかどうかは別として)であるという真理をどれぐらい素直に、何の抵抗もなく受け入れているでしょうか?

昨夜、こんなことがありました。
昨夜は、一週間前から田栗幹子のカラーをする約束をしていて、そのために二人ともスケジュールを調整していたのですが、急きょSunday partyが入り延期することになりました。

みきちゃんは口をとんがらせて「もう、じゃあいつするとーぉ、ああ~ぁ」と残念がってはいましたが、私は「みきちゃん、ほんと髪の毛する意図ないねー」と大げさに言ったら「そうね、ほんと意図ないね」とスコンと応えました。

私が逆の立場だったらこうはいかない。
「いぃーゃ、私はこんなに意図があるのに、もうすか~ん」と現象が自分の意図通りの結果だとは瞬時にサレンダーされないなあと思いました。

さすがだなと思いました。

私たちがよくはまるところは“私はそんなつもりじゃないのに”とか“私なりに100%やったのに”とか言って自分の思いや気分に牛耳られるところです。

我の気分関係なし!に立場をとったら人生がとっても簡単で自由ですよね。

そして、我にかまっていられるひまがないくらい、今、口を開きまくる時です。
我を手放すための最高のトレーニングは愛からのメッセージライフです。

14日まであと3日“いざ出陳”!

今日のうちに結果現しちゃってもいいんじゃない?



  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ