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2009年09月30日

田ぐり庵のすごみは会話力につきる 2001年06月24日

Kumiko’s sharing paper 

『田ぐり庵のすごみは会話力につきる』
2001年06月24日

昨日は、みんなで外販に出ました。

外販に出てみると私たちの素晴らしさに改めて感動します。

明るく、美しく、軽く、声をかけて、簡単にお弁当を売っていく私たち。

他の弁当屋が休みの土日でも、時間外労働になるような夕方でも、いつでも、誰にでも、どんなところでも、可能を創り出す私たち。

本当に私達って素晴らしいですね。

二年半前、無名のお弁当屋としてスタートして、取引先など一つもなく、まず、ゲリラ隊のように、あらゆるところに出没して、外販をやり続けて、今の田ぐりブランドを築き上げました。

外販は、私たちの革命の原点です。

そして、今、原点に戻って、現金創作プロジェクト『エピソード外販』を楽しんでもいいかもしれません。

田ぐりスターが、市民の一人一人に愛(弁当)を手渡すいい機会だなあと思ったんです。

外販のおかげで、久しぶり、O先生、N先生に挨拶できました。

面白かったのは、エレベーターの中で、カルチャースクール帰りのおばさんに三個弁当を売りました。

駅で、家族の迎えを座って待っている、おばあちゃんが、二個買ってくれました。

意図して、100%行動していると、思いもよらない結果が、ひょいとやってくるとは、このことですね。

また、参議院選挙事務所とコンタクトする可能もみえてきました。

人類革命を意図して、外販したら、いろんなことがみえてきますね。

製造・営業チームが、一つになるいいチャンスでもあります。

パーティ、エピ7の出会いのチャンスも増えます。

予約のない日は、外販デー!

六月末は、外販キャンペーンで盛り上がりましょうか?



  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年09月28日

人間は助け合って生きる動物つまり迷惑かけあって生きる動物です

2002年1月22日

人間は助け合って生きる動物、つまり迷惑かけあって生きる動物です(1)

<我の創る人生と我々の創る人生>

昨日は世間代表、私の源泉、母と会話させていただきました。

話してみてよ~く見えたことは、母は私の話や私の行き方を全然聞いていないというか、

受け取っていないということでした。

1000万プロジェクトに少しでも協力してもらおうという思いからスタートした会話だったのですが、

給料はもらっていないのか

保険はどうなっているのか

年金はどうなっているのか  
と、

あなたは今まで私の話を聞いてなかったの?! と言いたくなるほど、

私が経営者だって知らない様子。もうショックでした。

しかし、昨日は途中で投げ出さずにしぶとく会話しました。

母の戦法は、

あんた仕事の時でもそんなしゃべりかたしよるとね  とか

何でそんなに声を荒げてしゃべるとね とか言うことで、私が話し合おうとすることを

跳ね除けるのです。

その手には乗らずにさらに話を進めるとあげくの果てには

わからん!  もう電話を切る!という答えが返ってきてお話にならないのです。

世間の人って本当に話し合う、受け取りあうというセンスがないのですね。

母が言っていました。

人生は究極自分のためやろ

人間は根本的にわかりあえないものだ。

他人に迷惑かけないで、はじめて人にものが言える

人間はどう生きるものなのかなんか誰にもわからん。


母の人生は孤独です。自分と他人に差別があり、国境線があるのです

お母さん、人間は白人だろうと黒人だろうとみんな同じ人間です。

外見がちょっと違ったり考え方が違ったりするけど、根本は同じです。

でもお母さんには他人との間に、娘である私の間にすら、国境線がある。

この溝が戦争を起こすのです。私は人間同志としてお母さんに出会いたいんです!

人は一人では生きていけない。お互いにサポートしあって生きる動物です。

言い換えれば迷惑かけ合っていきているんです。

迷惑かけることで生まれる信頼やきずながあるんです。

お母さんはその感動や歓びを知らない!と訴えたら絶句してました。  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年09月23日

学問のすすめ 2001年06月23日

Kumiko’s sharing paper 

『学問のすすめ』
2001年06月23日

最近、いろんな立場の人と会話をするチャンスがあります。

テレビ朝日の課長、西鉄ストアの取締役、朝日新聞の次長、井筒屋のマネージャーetc。

私たちは、ただの弁当屋ではないですから、ただ、田ぐり弁当のPRをしておけばいいというものではありません。

どんな話し相手をも、自分の子として見て、受け取り、理解し、そして愛を注ぐ必要があります。

そのためには、教養・知識が必要だと感じます。

それは、ただ自己顕示のためや、やり方・方法のためではなく、相手の今いるところを100%受け取り、そして、魅力的な会話のダンスをするためです。

昔の私は(今もですけど)常識を知らないというか、新聞は読まない、ニュースも見ない、本も読まない、今、世間で何が起きているのかということに全く無関心でした。

100%自分の欲求の満足を意図して生きていたから、人類(なかま)のことはどうでもよかったんでしょう。

本当に恥ずかしいくらいです。

今までの営業は“じいちゃんにかわいがってもらう”ような、在り方で、やっていたので、無知なことも、笑顔でこまかしてきましたが、今はそうはいきません。

親として会話するためには、子供の会話を理解するだけのボキャブラリーと、子供が起してくる現象はどうなのか、知っておく必要があります。

知らないことは知らないと誠実に会話しますけど“ああ、この人は信頼してもいいかな、自分と一緒にいてくれるな”という信頼と安心を育む会話は必要ですよね。

“放送業界の本”をちょっと読んでいたからテレビ朝日のMさんとはかなりダンスできました。

“経営”については全く勉強不足で、西鉄ストアの取締役との会話は、開拓の余地を残しました。

これほど、ああこれも知りたい、あれも勉強したいと、意欲がわいてきたのは、私の人生で初めてのことです。

学問も、我金のため、権力のため、名声のためでなく、人類(みんな)のためなんだということを実感する毎日です。

どんどん勉強して、誰でもメッセージライフを起こす魅力の会話体になるぞ~。

  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年09月21日

人間は会話環境の動物である

2002年1月29日

”人間は会話環境の動物である”
<新自分を創り出すポイント>

最近、ライトメッセージを書きながら気づいたことがあります。

それは、自分が書くメッセージの言い回しというか、口調ならぬ筆調がその時点で惚れこんでる本の著者に

似ているということです。

”アンネの日記”を読みふけっていた頃は、自分がアンネになったかのような言い回しだったし、今は日野原Dr.に感銘を

受けているので、先生の丁寧な筆調が私に乗り移っています。

私が小学生の頃、伯母さんの家に預けられていて、うちの母が

”あんた、しゃべり方がおばちゃんにそっくり!”とギョッとされたこととかを思い出しました。

それくらい会話環境が自分そのものとなっていくんですね。

それが見えると、自分がどんな会話の中で生活させるかがどれ程重要なことかが否応なしに見えてきます。

田ぐり庵がユートピアだと言われる所以も、このピュアで愛に溢れた会話環境のことだし、

優れ本を読めとコーチされるのも、優れた会話環境に自分をおけということです

そして何よりも、セルフメッセージの言葉が最高の会話環境なのです。

自分がどれくらいセルフメッセージの会話にうずもれて生きているのか、世間の会話という不純物を侵入させているのか、

その状態、環境がそのまま自分ですから、自分が常に接している人、自分が読んでいる本、自分がつぶやいている言葉、

自分の部屋のインペガブルさを見れば、事実は見えますね。

ということはつまり新しい自分を創り出すためには

”そのなりたい会話環境”にどっぷりつかればいいわけです。

そのまたの名を”意図”と呼ぶのです。

そして我々真実者は人類(なかま)に乗り移る会話環境そのものである必要があります。

ですから、ピュアであることは当然のことながら、人類の何倍ものパワーで太陽のように存在し続ける使命があるのです

Yes!Self-Message!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年09月16日

私たちは、私たちの脳力を自覚し・・・ 2001年06月22日

Kumiko’s sharing paper 

『私たちは、私たちの脳力を自覚し、100%生かしきっているでしょうか?』
2001年06月22日

昨日、テレビ朝日のM課長と会って話をしました。

私は、田ぐり庵をシェアし、メッセージライフする意図で行ったのですが、彼はビッグイベントのマネージで頭がいっぱいで、私の話を聞くよりも、自分の話をしたいという感じでした。

それでもO.K.と許容して、いろいろ話を受け取って、そして、私のシェアもちりばめながら、人間関係を創ったという感じでしょうか。

その中で、私がシェアしたいポイントは二つ。

一つは、この水泳大会は、種目は水泳に限られてはいるものの、レベルでいえばオリンピックなみのイベントです。

テレビ朝日は、このイベントの成功に会社の将来がかかっていると、最強のメンバー(シドニーオリンピックをやったスタッフ)で臨んでいます。

社長たちも来ます。

そこに、私たちが、弁当業者として、出入りするということは、またとないチャンスです。

どこで、だれの目にとまるかわかりません。

インペカブルは、当然ながら手ぐすねひいて出番を待つ(つくる)必要があります。

二つめは、私たちが、自分たちの持つ能力を100%使いきっておらず、どこかあぐらをかいているということです。

Mさんが言っていました。

「もし東京でこのイベントをやるとしたら、何十・何百の弁当屋が、弁当を作らせてくれと営業にくるだろう。」

「KBCに一社も来ていないとは残念。」

「福岡の人たちにも、もっと盛り上がってもらわないと。」

私たちの営業にスキがあることをコーチされています。

即行動!そしてやり続けるとコーチされているところはここです。

KBCには一度だけ行って、その時は、あまり可能が見えず、そのままにしていました。

私たちは、言葉で何でも現せることを知っています。

そして、私たちは並々ならぬ会話力を持っていることも知ってはいます。

しかし、それを本当に自覚し、生かしきってはいません。

それが、今月の今の結果、約1,200万です。

あと九日間で1,300万 です。

理屈じゃないただ達成を現す時です。

シンプル・結果(数字)を世間はみて判断しますからやりましょう。


  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年09月14日

田ぐり庵って宗教じゃないの?!

2002年1月28日

”田ぐり庵って宗教じゃないの?!”

<メッセージライフシュミレーションシリーズ>

世の中には、よくわかっていらっしゃらない方もいて、田ぐり庵が

”給料がなくても働く”

”非常に一致団結している”

”愛を口にする”

”平和を目的としている”

とう事実を聞くと、

”それって宗教なんじゃないのぉ”
という反応が返ってきます。

”宗教とは何かを知らない”方に限ってこういう反応をなさるのが困ったものです。

それで、宗教と田ぐり庵の違いを明確にしてみたいと思います。

宗教といっても、現代における宗教は

<本来の宗教のあるべき姿とはかけ離れたものになっています。>

本来、宗教とは映画コンタクトのエリーの彼の言葉ではないですが、

<真実の探究>であり、人間とはどう生きるものなのかを説く学問の1つであるはずです。

今現在宗教を信仰している方に聞いてみたいものです。

何のために宗教をやっているのか。

宗教の第一の特徴は、<神>という絶対的な存在があり、自分が神にはなりえません。

ところが、田ぐり庵では神様など存在しません。

常に事実に基づいた会話が重ねられるだけであります。

よく、社長が教祖様なのではと疑う方がいますが、社長はチームのリーダーではあっても、

絶対的存在ではなく、根本的に差別がないのです。

ですから社長であろうと、副社長であろうと、時と場合によってはスタッフ全員でとことん話し合います。

誰が何を言ってもOKなスペースなのです。あなたは自分の上司や社長に向かって、または教祖様に向かってもの申すことができますか?

あえて神という言葉を使うならば、田ぐり庵では一人一人全員が神様だ!

という立場をとっています。

つまり自分が創作者であり、全ての親であり、与える人なのであります。

田ぐり庵の原点である会話教育は、宗教をとっくの昔に極めて、超越したものなのです。

安心して私達と関わってください。あなたの持っている人生の疑問や悩みを全て解いてみせますから!!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年09月09日

“物絶対”“我絶対”“言葉がすべて” 2001年06月21日

Kumiko’s sharing paper 

『“物絶対!”“我絶対!”“言葉がすべて”』
2001年06月21日

古代人=物絶対・現代人=我絶対ってよく言いますよね。

でも、その流儀でいくと、未来人はことば絶対っていうことになりますけど、“絶対”という言葉を使うのは抵抗があるなあと感じます。

この言葉は、すごい言い切りの言葉で、なんか、入り込むスキがないという感じで、ある意味、不自由な言葉だなあと思います。

“このことは間違っている”とか“私が正しい”とか決めつけの言葉は排他的で息苦しい感じがします。

その点“ことばがすべての世界”には“これが絶対でなければならない”ということはありません。

例えば、仕事で大失敗をしてももう一生ダメではないし、人とけんかをしていても、徹底的に話し合えばもう一度関係を再創作できます

つまり、不可能なことはない、会話でどんな現象をも現せるということです。

こんな自由はありませんよね。

こんな幸福もありませんよね。

言葉を持って生まれたことに感謝しかありませんよね。

私も本当、たくさん失敗をしてきました。

営業したお客様の中には「ああ、もう絶対に取引してもらえないなあ」と感じた人も多々いました。

しかし、我々はそのトラブル人間関係をも話し合いをすることで、逆にスクラム人間関係にシフトさせることができる神様です

“言葉がすべて”に生き切りましょうね。

今日は、テレビ朝日のM光さんに会います。

言葉で素晴らしい人間関係をつくります。

エピソード7を意図して、テレビ取材を意図して、水泳大会の大量発注を意図してとにかく楽しんできます!!
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ

2009年09月07日

会話力とはやはり承認力である

2002年1月25日

”会話力とはやはり承認力である”

<人の出会いは承認から始まる>

先日、某めんたい屋の社長と代表の対談に同席しました。

代表の会話力を直々に見ることができて、理屈抜きに肌で感動しながら一緒にいました。

自分との違いから、感じたことをみんなに共有したいと思っています。

代表の会話はまず承認からスタートします。

「社長、いいお顔していらっしゃいますねー。」

「モテルでしょー。」

「社長の話術はもうプロですね。」

等と私が横で聞いていて歯が浮くようなセリフを惜しげもなく連発するのです。

私でさえ、気恥ずかしくなるくらいだから、社長は、もう顔を赤らめながらデレッとなっていました。

デレッとなるということは、警戒心が溶けるというか、心を開いてしまうというか、それから社長は

安心したのだと思います。

身を乗り出して、自分の身の上、自慢話をしはじめました。

それはまるで”北風と太陽”の太陽の様に、旅人がどんどん服を抜いていくかのようです。

そうなると、こっちのペースというか、ストレートな質問やコーチも言ってもOKな関係が

出来上がっているのです。

私も承認しているつもりでしたが、気前よさが違います。

これはどれくらい気前よく自分を承認しているかに比例しますね。

人類(みんな)のために、自分を承認するという気前よさが必要です。

残念ながら、S社長は過去に生きていらっしゃって、昔の体験談には熱が入りますが、

未来の展望的な話になると、何も言葉がでてこないのです。

”ゴルフがうまくなりたい”とか”ドラムがうまくなりたい”とか、自分の趣味のことしか

考えていないのです。

68歳で確かに肉体的な老化はあるでしょうが、

<何の為に>

がないと、それに流されて守りに入ってしまうんですね。


しかし人類革命家である我々は今、大きなスケール(全国、全世界へ)を

意図しながら生きているやる気のある同志を一刻も早く見つけ、

ともに生きる革命チームを巨大化していく必要がありますね!  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2002年ライトメッセージ

2009年09月02日

人類が求めている職場 2001年06月20日

Kumiko’s sharing paper 

『生命の正体は実は親として生きること』
2001年06月20日

私たちが命のあるものを大切にとか、生きている・死んでいるとか、生命に関する言葉を使う時、何をもって、“命”があると判断しているでしょうか。

私たちは、木や花などの植物も生きていると解釈します。

鍋や机のことを生きているとは思いません。

何が基準になるかというと、どうも複製能力があるか否かということにいきつきます。

つまり、自分の分身を複製できる能力を持っていれば、生命があるというようです。

細菌やバクテリアなどの単細胞生物は、細胞分裂、つまりクローンをつくります。

多細胞生物(動物・植物)は生殖行為によって子をつくります。

生命力があるということは、俗世間的にいうと、どれだけ子供をつくれるかになりますが、
会話科学的にいうと、どれだけ自分の分身を育てるパワーがあるかということになります。
つまり、親としてどれだけメッセージライフできるか、=(イコール)会話力ですよね。

世の中のリードを取る人(成功者)は、色気があるとか、セックス好きの(いい意味ですよ)人は元気で若々しいとか言いますけど、生殖力=生命力=会話力だから、なるほどねと思いました。

私たちが、自分の会話を人類(なかま)に乗り移していなければ、分身を育てていないのだから、死んでいる。

つまり、ただのうんこ製造機ということです。

世の中をみれば、人間の姿をしたロボットとうんこ製造機がうろうろ動いているだけかもしれません。

私たちが、あたたかい愛の会話で、命を吹き込むのです。

やさしく、根気強く、人間として、生命あるものとして、親として生きる感動を今、徹底的に味わいましょう。

みんな複製能力アップのためのセルフメッセージ・メッセージライフ・読書・睡眠・e.t.cですね。
  


Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00Comments(0)2001年ライトメッセージ