2010年06月23日
我のかたまり・・・赤面症・・・ 2001年08月04日
Kumiko’s sharing paper
『我のかたまり・・・赤面症・・・』
私は小さい頃、恥ずかしがりやで、人の前で何かをするという場合など(例えば、親戚の前で歌をうたうとか・・・)真っ赤に赤面し緊張のあまり泣き出したりすることがしばしばでした。
大人になって、就職した後も、人前で話すなど、とっても苦手で、それでも、学会で発表したりしなければならない時は、前日徹夜で、原稿を覚え、それこそ、ちょっとでも記憶が薄れないよう、頭を動かさないように歩く・・・こともありました。
そんな私が今、八月エピソード7のSVをつとめることに、不安や緊張があまりないのです。
赤面症というものは、実は“自分が在る”という、我有りの会話エネルギーがつくりだす病気なんだなということを実感します。
自分が失敗したらどうしよう、自分がどう思われるだろうと、我のかたまり状態になっています。
しかも、想像する結果は、非常に否定的で、その不可能な会話エネルギーが、赤面させ、何にも行動しない状況をつくりだすのです。
自分の存在など関係なし、ただ、ただ、人類(なかま)のことを思い、人類(なかま)のために今できることはなんだろうと、常に外に目を向けていたら、赤面などしていられません。
今、この瞬間にも、飢え死にしかけている人類や、意味のない戦争の現場で戦っている人類や、金の奴隷として生きたしかばね状態の人類を思えば、声を大にして、叫ばずにはいられません。
命がけのメッセージを与え続けずにはいられません。
今、我々真理者は“我”という迷信を崩壊させ人類(なかま)のために言い抜く時にきているのです。
『我のかたまり・・・赤面症・・・』
2001年08月04日
私は小さい頃、恥ずかしがりやで、人の前で何かをするという場合など(例えば、親戚の前で歌をうたうとか・・・)真っ赤に赤面し緊張のあまり泣き出したりすることがしばしばでした。
大人になって、就職した後も、人前で話すなど、とっても苦手で、それでも、学会で発表したりしなければならない時は、前日徹夜で、原稿を覚え、それこそ、ちょっとでも記憶が薄れないよう、頭を動かさないように歩く・・・こともありました。
そんな私が今、八月エピソード7のSVをつとめることに、不安や緊張があまりないのです。
赤面症というものは、実は“自分が在る”という、我有りの会話エネルギーがつくりだす病気なんだなということを実感します。
自分が失敗したらどうしよう、自分がどう思われるだろうと、我のかたまり状態になっています。
しかも、想像する結果は、非常に否定的で、その不可能な会話エネルギーが、赤面させ、何にも行動しない状況をつくりだすのです。
自分の存在など関係なし、ただ、ただ、人類(なかま)のことを思い、人類(なかま)のために今できることはなんだろうと、常に外に目を向けていたら、赤面などしていられません。
今、この瞬間にも、飢え死にしかけている人類や、意味のない戦争の現場で戦っている人類や、金の奴隷として生きたしかばね状態の人類を思えば、声を大にして、叫ばずにはいられません。
命がけのメッセージを与え続けずにはいられません。
今、我々真理者は“我”という迷信を崩壊させ人類(なかま)のために言い抜く時にきているのです。
Posted by NAGAIトークスタジオ at 08:00│Comments(0)
│2001年ライトメッセージ